Archives[ 2014年03月 ] - かとうまさゆき Kato Masayuki Photo Channel
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善光寺の善の字は牛の形

2014年03月29日 23:20

20140329_0_善光寺
 <長野県 善光寺の善の字は牛の形>

20140329_4_善光寺
 <かわいい鯉のぼり>

 この日は(株)長野フジカラー主催の信州写真 特別セミナーに講師として長野に向かいました。朝一番の列車で気仙沼を出発し、長野駅に到着すると気温は20度近くあり、気仙沼より暖かったので驚きました。会場入りする前に途中あんずの里に立ち寄ったのですが、杏子の木には蕾が沢山付いていて、一部はアンズの花が咲いていました。もう2週間もすると杏子の花が咲き始めそうでした。信州では梅が咲いており、これから桜を始め、杏子・リンゴの花が咲き、待ちに待った春の訪れを感じる日となりました。
 その夜遅くに散歩がてらに善光寺に出かけてみました。善光寺の善の文字が牛の形をしているということを確かめに来たのです。本当に善の文字は角や目、口などもあり牛の形をしていました。
 夜遅くとあって参道のお店はすべて閉まっていたのですが、帰り道に鯉のぼりを飾ってある店がありました。とてもかわいらし鯉のぼりだったので写真を一枚撮ってきました。
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落合小学校で閉校式

2014年03月22日 23:48

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 <落合小学校の閉校式で「お別れの言葉」を述べる生徒たち>

 落合小学校の前進は明治7年新城月立小学校落合出張所で、昭和8年現在の地に新城尋常小学校落合分教場となり、昭和22年9月1日に落合小学校の開校式を迎えました。それから67年、本日落合小学校(熊谷聖校長)の歴史が幕を閉じました。午後1時30分から体育館で菅原市長を始め、斎藤教育長や市議会議員、PTA関係者を始め、歴代学校関係者や卒業生、地元の方たちなど体育館が一杯なるほど大勢の方が参列いたしました。この日は18日に卒業した2人も加わり14名で「お別れの言葉」を述べ、参列者に感謝の気持ちを伝えました。 
 その後除幕式が行われ、記念碑がお披露目され、落合小学校67年の歴史が閉じられました。
 体育館では在学中にスポーツで入賞した名前の入ったプレートが飾られていたのですが、卒業生した親御さんたちがこのプレートを見つけ、我が子や自分の足跡を見つけていました。
 落合小学校でみんなと一緒に過ごした時間はあっという間に過ぎてしまいました。こんなに楽しい小学校の取材ははじめてだったので、みんなと過ごした時間は宝物となりました。
 落合小学校の校長先生を始め先生、生徒さん 本当ありがとうございました。


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 <閉校記念碑の除幕>

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 <名前の入ったプレートを見つる親御さんたち>
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2人だけの卒業生 落合小学校

2014年03月18日 22:46


 <気仙沼市立落合小学校 二人だけの卒業式>
 
 平成25年度 宮城県気仙沼市立落合小学校で2人の卒業式が巣立ってきました。1年生1人、2年生2人、4年生3人、五年生6人、6年生2人の14名で、そのうちに二人が今日卒業式を迎えました。
 落合小学校は少し行く岩手県にほど近い豊かな自然に囲まれた山あいにある小学校です。廿一地区の方たちと一緒に学んできた生徒たちは明るく、とても素直な子供たちでした。鬱囃子や田植え踊りの練習、稲刈りや花作りなど地元の方が先生となり、地域で生徒を育て上げてきた小学校です。  
 今日2人の卒業生が巣立っていきましたが、22日には閉校式を最後に落合小学校は閉校となり、新城小学校と統合されます。残された12名の生徒たちは4月からスクールバスで新城小学校で新しい小学校生活が始まります。

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閉校「ありがとうのキャンドルナイト」

2014年03月11日 23:50

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<気仙沼女子校で行われたキャンドルナイト>

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 <気仙沼女子校の校舎から見た3本の光の柱>

 3月3日18名の卒業生が巣立ち、45年の歴史に幕を閉じた宮城県気仙沼市の気仙沼女子高で11日、「最後の気仙沼女子校で「ありがとうのキャンドルナイト」が行われました。
 女子高はこの後災害公営住宅となる予定のため、この日は卒業生を始め多くの方が最後のありがとうのキャンドルナイトを見入っていました。
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東日本大震災から3年 14時46分

2014年03月11日 23:30

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 <気仙沼港岸壁で黙祷を捧げる以前の住民たち>

 この日の朝で震災から3年目を迎えた宮城県気仙沼市。
 朝起きると今日は雪。朝起きてから町を一回りして感じたのが、1年目や2年目とは違う朝を感じじました。3年目を迎え、市民の生活が安定し始め、日々の生活が大切になってきたのだという事を感じました。1年目や2年目は多くの人が朝から震災にあったそれぞれの場所にいたのですが、3年目の朝は人がまばらであったことです。今日は平日と言うこともあり、日々の生活が戻り、生活が安定してきたのでそう感じたのかもしれません。
 それでも震災の14時46分近くになると多くの方が黙祷を捧げていました。
 この地に事務所を移転し、永住をはじめもうじき1年が経とうとしています。気仙沼の現状を出来るだけ発信してきましたが、まだまだ復興までの道のりは険しい物があります。しかし、少しづつではありますが前へ踏み出しています。

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共徳丸があった鹿折地区は

2014年03月11日 22:44

20140311_8_共徳丸付近
 <2014年3月11日 共徳丸が打ち上げられた鹿折地区>

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 <昨年の共徳丸があった頃の鹿折地区>

 昨年の3月11日、共徳丸周辺には宮城県気仙沼市鹿折地区には多くの報道陣や観光客が詰めかけていました。しかし、昨年秋に共徳丸が解体され、人影はありませんでした。朝から嵩上げの工事の音が響き、ダンプカーの往来は以前より増しています。国道45号線は仮設の道路が造られこの地の嵩上げ工事が急ピッチで行われていました。
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気仙沼はいま・・・

2014年03月11日 16:44

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 <宮城県気仙沼市南町 風邪の広場にあるオブジェ>

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 <取材中の私 被災地はがれきが撤去されただけで、建物はまだまだ建てる状況にはありません>
 
 事務所を宮城県気仙沼市に移転し、もうじき1年が経過しようとしています。ボランティアを通じていろいろな方々とと出会うことがが出来るようになってきました。しかし、一市民として見た状態では、がれきが片付いただけで復興は思ったほど進んでいません。東京はオリンピックで盛り上がっていますが、東北の被災地では建設資材が高騰し、自宅の再建も遅れています。もっと深刻なのは公共事業の入札が不調に終わることが目立ち、復興はを加速したくても遅れるばかりです。
 市民は復興を加速したくても出来ない状況と震災地区は見捨てられたという言葉が随所で聞かれる状態です。役所の職員も一生懸命仕事をこなしていますが、人手不足と入札不調で困っています。
 国会議員の皆さん、もっと被災地を視察して、防潮堤を始め、復興事業の現場や現地の方の意見をもっと吸い上げ、一日でも早い復興をお願いいたします。 
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大漁看袢(カンバン)

2014年03月02日 21:01

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<大正10年_第2観通丸>

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 <昭和15年_鯖立_日出丸>

 この日は宮城県気仙沼市唐桑町鯖立(しびたち)の鈴木家で大漁看袢(カンバン)が展示されました。
唐桑地方では明治から昭和中期にかけて大漁の時に祝着として大漁看袢が配ったとされ、現在鈴木家では震災をまのがれた26点ほど保存されているそうです。
 当時は漁獲高一万円以上を万越(マンゴシ)と呼び、万を超える大漁の際には祝宴を行い、網元から漁師に贈られたのが大漁看袢です。その絵柄は華やかな色物を用い、鶴や亀、松竹梅、七福神など目出度い図柄の他に鰹をあしらったものなどもありました。看袢は大漁を祝って贈られたものなので、ふんだんに金をかけて作っているために年代によって絵柄も微妙に変わっていました。その展示を行った鈴木家は紀州より鰹の一本釣り漁が伝えられた由緒ある旧家で、大きな蔵が行いくつもありました。帰り際にその蔵を見学しました。そこには昔鰹節を作るために使ったであろう直径が2mもありそうな大きな鍋があり、震災時にそれをお風呂代わりにし、多くの避難民の受け入れ事を地元の方が説明をしてくれました。
 この展示は唐桑の漁や鈴木家の歴史を感じるすばらしいものでした。ここでの展示は終了しましたが、来る3月9日(日)~15日(土)まで唐桑大漁唄込復活推進実行委員会(会長 鈴木伸太郎)による大漁カンバン企画展が仙台市広瀬文化センター2Fで行われます。
 
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